遺伝子診断による生活習慣病のリスク評価

1.) 研究背景:

わが国では高齢化や食生活の欧米化などから心血管疾患(CVD)が増加傾向を辿っており、その対策は喫緊の課題である。近年、CVD の重大な危険因子として慢性腎臓病(CKD)やメタボリック症候群

(Mets)が注目されている。とくに CKD は本邦においても、久山町研究において CVD 発症リスクが約

3 倍に高まる(1)こと、また茨城県の地域住民健診解析より、CVD による死亡が男性では~約 2 倍、女性では~約 4 倍にまで高まる(2)ことが報告されている。

生活習慣病は、食生活・運動習慣・休養のとり方・喫煙などの環境因子が関わる生活習慣病的要因も大きいと考えられているが、患者の遺伝的背景もその発症に大きく関わる多因子疾患である。CKD や CVD、Mets をはじめとする生活習慣病やその合併症などにおいて、特定の遺伝型により環境要因の影響が異なる遺伝子環境相互作用が知られている。例えば、喫煙者における冠動脈疾患発症リスクは gultathione S-transferase (GST)M1 と T1 を共に欠損すると 2.7 倍高まる(3)。そこで CKD や Mets において、遺伝要因に立脚したオーダーメード医療による治療介入により予後が改善できると期待されるが、その基盤となる遺伝子環境相互作用は充分に解明されていない。

SNP 等の遺伝情報は個人の遺伝的背景を検索するための指標であり、最近では SNP 解析を通じて高血圧・高脂血症・糖尿病等の生活習慣病の遺伝子リスク評価が可能になりつつある。本邦では CKD のうち、糖尿病性腎症の疾患感受性遺伝子について、また申請者らのグループでも 320 例の IgA 腎症において発症・進展に関わる 100 種類の SNP を解析し、その予後に関わる GPIa C807T/ G873A and ICAM-1 A1548G などの複数の SNP を見出している(4)。さらに申請者らは、企業健診受診者を対象とし、観察期間 7 年において新規に Mets 発症した群と患者背景をマッチさせた対照群を選別し、詳細な SNP 等遺伝情報と環境因子との組み合わせ解析を行い、アディポサイトカインの SNP と喫煙により 7 年後の Mets 発症リスクが 11.5 倍に高まるという遺伝子環境相互作用を見出した(5)。しかし従来の研究では解析症例数が少なく、より大規模での検証が必要である。

トヨタ自動車株式会社健康支援センターウェルポでは、従業員約7万人の健康診断を定期的に行い、経年的なの健診データと既往歴などの医療情報が整理されており、生活習慣病につきコホート研究による解析が可能である。さらに職場での食事嗜好などの独自のデータを有しており、新たな遺伝子環境相互作用の解明につながることが期待される。なお本研究では全血検体より DNA の抽出を DNA 抽出業者に外注して行う。

2.) 研究目的:目的・必要性・意義・予想される利益

本研究の目的は、トヨタ自動車株式会社健康支援センターウェルポの健診結果、退職後の健診情報などの医療情報、ミールチェックデータなど食事調査結果、センサー等による生活習慣のモニタリング結果を用いたパーソナルレコードと生活習慣病の発症・進展に関与が疑われる遺伝情報を組み合わせて解析することで、生活習慣病の発症・進展に関与する遺伝情報や遺伝子環境相互作用を解明することである。

本研究の成果により、あらかじめ遺伝情報に基づいたリスクを知り、自身の遺伝的体質に適した食事や生活に取り組むことで、生活習慣病の発症・進展を予防・抑制することが期待される。

3.) 研究対象者:対象者の選択基準と除外基準

トヨタ自動車株式会社健康支援センターウェルポにおける健康診断受診者およびトヨタ自動車退職者から構成される(仮称)トヨタ OB 健康クラブ参加者のうち、本研究への文書での同意を得られた者を研究の対象とする。対象者の同意を得られた後、その後の健康診断時に採取された血液検体の残余検体を用いて解析を行う。本研究のための新たな採血は行わない。

標本規模と算定根拠:

IgA腎症やMets研究実績より、200~300例の遺伝情報解析では統計学的なパワーが不足しており、とくにアレル頻度が低い場合には CKD 発症・進展に重要な役割を果たす遺伝情報などを見逃す懸念がある。

CKD 及び Mets の診断基準は現行の日本での診断基準を用いる。即ち、CKD については、①3 ヶ月以上継続する構造的・機能的障害(病理的異常や血液・尿組織の腎マーカーの異常)、②3 ヶ月以上継続する糸球体濾過率(GFR) 60 mL/分/1.73 m2 未満 の両方もしくはいずれかを認めるものとする。

Mets については、必須項目として内臓脂肪蓄積(内臓脂肪面積 100 平方 cm 以上)のマーカーとして、ウエスト周囲径が男性で 85cm、女性で 90cm 以上。その他以下のうち 2 つ以上を満たすものとする。①血清脂質異常(トリグリセリド値 150mg/dL 以上、または HDL コレステロール値 40mg/dL 未満) ②血圧高値(最高血圧 130mmHg 以上、または最低血圧 85mmHg 以上) ③高血糖(空腹時血糖値 110mg/dL)参考

必要人数は下記の式で算出できる。有意水準α=5.0×10-7、検出力 0.8、健常者群におけるリスクアレル頻度(P=0.1)の条件下で、予定症例数は以下の通りとなる。

  • オッズ比 0

患者と健常者の比率(π)(0.5:0.5)の場合 2,488 例患者と健常者の比率(π)(0.2:0.8)の場合 3,455 例

患者と健常者の比率(π)(0.1:0.9)の場合 5,866 例

  • オッズ比 5

患者と健常者の比率(π)(0.5:0.5)の場合 7,982 例

患者と健常者の比率(π)(0.2:0.8)の場合 11,628 例

患者と健常者の比率(π)(0.1:0.9)の場合 20,149 例

  • オッズ比 25

患者と健常者の比率(π)(0.5:0.5)の場合 28,076 例

患者と健常者の比率(π)(0.2:0.8)の場合 42,210 例

患者と健常者の比率(π)(0.1:0.9)の場合 74,032 例

4.) 研究デザイン: コホート研究

具体的な流れを示す。

①トヨタ自動車株式会社健康支援センターウェルポにおける健康診断受診者およびトヨタ OB 健康クラブ参加者を対象とする。

現在 2800 人の登録があるが、前述の式に則り順次採取人数を増やし最大 8 万人を目標とする。

②対象者の健診受診前に担当者が出向き、文書による同意を得た後、対象者の食事内容・喫煙・運動量等の生活習慣に関する情報をパーソナルレコードから取得。

③健診時の血算採血の残余検体を担当者が受け取り、DNA抽出業者へ送りDNAを抽出する。

④抽出したDNAは本学へ移して遺伝子解析を行い、-80度にて凍結保存する。 ④本学において遺伝情報、生活習慣と疾患発症の関連を解析するとともに、生活改善指導、及び運動指導の有益度と遺伝情報の関連を前向きに検討する。

評価の指標

  1. 生活習慣等:健康診断の質問票から収集された全調査項目。食事内容(ミールチェックデータを含む)やセンサー等で測定されたパーソナルレコード
  2. 検診結果(検査日を含む):年齢、身長、体重、体格指数(BMI)、体脂肪率、腹囲、血圧、尿糖、尿蛋白、尿潜血、総蛋白、アルブミン、中性脂肪、総コレステロール、HDL コレステロール、LDL コレステロール、AST、ALT、γGTP、ALP、LDH、尿酸、尿素窒素、クレアチニン、 eGFR(クレアチニン、年齢、性別より算出する)、ヘモグロビン、ヘマトクリット、赤血球数、白血球数、血小板数、血糖、HbA1c、Fe、心電図、肺機能検査(肺活量、努力肺活量、一秒量、一秒率、COPD)、眼底検査、眼圧検査、胸部 X 線、胸部・腹部 CT、頸動脈超音波、最大酸素摂取量、骨密度
  3. 遺伝情報:対象とするのは生活習慣病やその生体指標との関連が想定される遺伝子情報であり、

単一遺伝子疾患の原因となるような浸透率の高い遺伝子の塩基変異は含まない。

尚、遺伝情報の解析は費用対効果を勘案しアレイやその他適切な方法で、一塩基多型を初めとする多型について解析する。

  • サイトカイン/ケモカイン/成長因子およびその受容体、炎症関連物質
  • 上記以外の遺伝子でシグナル伝達に関与する物質と受容体
  • ホルモン代謝酵素と受容体
  • アルコール代謝酵素
  • 脂質代謝に関する物質
  • 糖代謝および移送に関する物質
  • 血圧調節に関与する物質
  • 神経伝達物質の代謝酵素および受容体
  • 薬物移送物質
  • 血液凝固に関する物質
  • 基質合成分解酵素
  • ミトコンドリア遺伝子
  • 上記に含まれない生活習慣病に関連すると想定される遺伝子多型

5.) 他の研究とのデータ統合や解析について

独立した他のデータベースと統合して解析する場合がある。但しその場合も、生活習慣病発症、進展を予防・抑制する目的で行われる研究に限定する。

6.) 実施期間:平成 23 年 2 月1日~平成 29 年 1 月 31 日 (承認日より 6 年間)

7.) 倫理的事項

(1)対象者に説明し同意を得る方法

臨床受託研究審査委員会で承認の得られた同意説明文書を患者に渡し、文書および口頭による十分な説明を行い、患者の自由意思による同意を文書で得る。

文書同意取得

調査担当者は試験の実施に際し、試験対象基準に合致する健診受診者に対して以下の内容を説明し、文書による同意を得る。

  • 研究の目的
  • 研究の方法とお願いしたいこと
  • 研究協力の任意性と撤回の自由
  • この研究に参加した場合に考えられる利益及び不利益
  • 個人情報の保護について
  • 遺伝子解析結果の伝え方について
  • 解析結果の公表について
  • 研究から生ずる知的所有権について
  • 検体の保管と廃棄について
  • 遺伝子診断の費用について
  • 利益相反について

また、対象者の同意に影響を及ぼすと考えられる有効性や安全性等の情報が得られたときや、その同意に影響を及ぼすような実施計画等の変更が行われるときは、速やかに対象者に情報提供し、試験に参加するか否かについて患者の意思を予め確認するとともに、事前に臨床受託研究審査委員会の承認を得て同意説明文書等の改訂を行い、対象者の再同意を得る。

本研究において行った遺伝子解析の結果に関しては疾患を規定するものではなく、寄与因子と考えられているものであり、またその結果が疾患に直接結び付くものではないため特に遺伝カウンセリングに関しては必要性を認めない。遺伝情報検査結果は原則としてトヨタ自動車には通知しない。トヨタ自動車に遺伝情報結果を通知する必要が生じた際には、倫理委員会に修正申請して、承認を得る。

例として単一疾患として浸透性の高い遺伝情報が判明し、効果的な治療法が実用化されている場合や、生活習慣の変容により予防が可能と認められる場合等がある。

(2)ヘルシンキ宣言及び倫理指針の遵守本研究は、最新のヘルシンキ宣言及び臨床研究に関する倫理指針を遵守して実施する。

参考文献

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  • Irie F, Iso H, Sairenchi T, Fukasawa N, Yamagishi K, Ikehara S, Kanashiki M, Saito Y, Ota H, Nose T. The relationships of proteinuria, serum creatinine, glomerular filtration rate with cardiovascular disease mortality in Japanese general population. Kidney Int. 2006; 69(7): 1264-71. 3、Masetti S, Botto N, Manfredi S, Colombo MG, Rizza A, Vassalle C, Clerico A, Biagini A, Andreassi MG. Interactive effect of the glutathione S-transferase genes and cigarette smoking on occurrence and severity of coronary artery risk. J Mol Med. 2003; 81(8): 488-94.
  • Yamamoto R, Nagasawa Y, Shoji T, Inoue K, Uehata T, Kaneko T, Okada T, Yamauchi A, Tsubakihara Y, Imai E, Isaka Y, Rakugi H. A candidate gene approach to genetic prognostic factors of IgA nephropathy–a result of Polymorphism REsearch to DIstinguish genetic factors Contributing To progression of IgA Nephropathy (PREDICT-IgAN). Nephrol Dial Transplant.

2009; 24(12): 3686-94.

  • 牛田泰徳、加藤竜司、谷村大輔、井澤英夫、安井健二、高瀬 智和、吉田安子、川瀬三雄、吉田勉、室原豊明、本多裕之.長期追跡健康診断データにおける遺伝・環境要因を用いた生活習慣病リスク決定法.生物工学会誌 2010; 88(11), 562–